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遺伝子と社会の在り方を説く:安藤寿康『遺伝子の不都合な真実-すべての能力は遺伝である-』

 

遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である (ちくま新書)

遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である (ちくま新書)

 

 

 ブログの文献紹介の第一弾が、こんな危なげなタイトルの本でいいのかとも内心思いましたが、教育で人間の能力を無限に伸ばせる又は人間の性格を変えることが出来るという高い理想に疑問符をつけるには良い本だと思います。

 本書の要約をすっぱ抜くと、この本を敢えて読もうとする人たちが減ってしまうと残念ですので、面白いポイントの幾つかだけ説明します。

 一つの卵子から二人の子供が生まれてくる一卵性双生児(=共通の遺伝子を持つ双子)と二つの卵子から各々一人の子供が生まれる二卵性双生児(=期待値として50%の共通の遺伝子を持つ双子)の比較研究から、遺伝子の差異によってIQの数値の6割ほどが説明できるという研究結果を紹介しておりまして、その他の学業成績や知識や記憶も5割以上説明でき、性格や精神疾患も3割説明できるということもその研究結果から分かったようです。また、遺伝子以外の要因でも共有環境よりも非共有環境の方が説明力を持つことが多く、つまりは同じ環境にいても個人ごとにその環境からの学習の仕方が違ったり、同じ家庭や地域でも別々の学習を積むということです。ですので、同じ学校で同じ授業を受けても能力が均等化するとは限らないという意味合いです。

(その一覧表は、日本子ども学会さんの以下のページに安藤氏の解説込みで紹介されています。このページで紹介しなかった多くの事柄も当ページで紹介されています。)

第2回「遺伝子は『不都合な真実』か?」(1) - 日本子ども学会 ~子どもたちの健やかな成育環境づくりを支援します~

 

 補足として環境によって遺伝子の発現も変わりますし、アメリカとスウェーデンでの双生児研究において収入に関する遺伝子の寄与率でスウェーデンの方が低く出たということも紹介されておりまして、スウェーデンの研究の方がサンプル数が大きくて正確だったのでズレが生じたのかもしれませんが、福祉や教育などの社会制度の問題も寄与している可能性があります。また、あくまで世の中に存在する個人の差を遺伝子によってどれだけ説明できるかであり、仮に効果のある教育をある人に施せられたとしたら遺伝子の寄与率が下がるかもしれませんし、全ての人が等しい割合で遺伝子の影響を受けているという証拠にもなりません。あくまで平均して〇%の世界です。加えて、親から2対ある遺伝子のどちらを貰えるかはランダムですので、親の能力から子供の能力が予測できるとも限りませんし、能力に関係する遺伝子は無数にあってどれかの一つの遺伝子が知能を10%上昇させるというデータもありません。

 このような研究データをもとに安藤氏はロールズのいうように才能を公共財として、才能から得られた財も再分配の対象となるという有名な議論を引いてきたり、能力の選別ばかりが横行する今の日本の教育にも鋭い批判を述べておりまして、そこも読んでみる価値があります(安藤氏は行動遺伝学の研究者でもあり、教育学者でもある人です)。

 ここから感想に移らせてもらいます。

 本書の安藤氏が言うようにあるべき理想的な規範を現実と混合すると、「自由競争のもとで勝ち組に入った人間はしっかりとトレーニングを積んで真面目にコツコツやってきた人たちである」、「非正規で低収入の人達は努力が足りてない怠け者だから、援助よりも厳しくすることで奴らの努力を引き出せる」等々、本人の意思や努力に起因して経済的苦境に陥っていると捉える人達も少なくありません。本人の努力を褒め称えて応援することもその人のモチベーションの維持に有益であると何かの教育心理学で読んだような気がしますが、「落ちこぼれ=怠け者」と捉えてその人達を落伍させていくという心理は、公立の小中学校の授業進行の在り方に存在しているのでとも思いますし、その人間がどこまで努力して学習できるかを図る数値としての「学力」と偏差値を生徒に吐き出させるための役割に学校教育が甘んじてしまった面もあると思います。

 学力が将来の社会的な成功を呼ぶとも限りませんし、本書でもいうようにIQだけでは収入の3割しか説明できません。学力偏重にして、生徒に均一に学習指導要領で指定された知識を埋め込む教育が成功しているならまだしも著しい学力格差を生んで実施されている位なら、学習指導要領の内容を絞って生徒一人一人の才能を伸ばせるような個別化した教育を少しずつ取り入れていく方向にシフトするべきだと思います。官僚と自称専門家達の愚かな人体実験と化した「ゆとり教育」は土曜授業を削って生徒の学習時間を減らさせ、塾に行った子供だけ学力が維持されましたが、学習指導要領の内容を減らして生徒に職業体験やプログラミングやデザインや大学で勉強するような教養教育の機会を学校で与える仕組みにするべきだったと思います。授業を減らせば生徒の個性が伸ばせるという、政策のプロセスの想像力が貧困な人達には困りものですが、学力以外の生徒の個性を伸ばすという方針に間違いはなかったと思います。

 

 他方、安藤氏はロールズ流の再分配にシンパシーを出していますが、私は最初違和感を覚えました。ロールズのいうように稼げる人は社会契約流の正当化によって貧しくて困っている人達に分け前を差し出せというのは、「なんで頑張って稼いできた俺の分け前を渡さないといけないんだ」、「そもそも社会契約なんか結んだ覚えもないし、そんなの知ったことではない」、「怠惰な人達に生活保護を与えるのは社会で怠けることを推奨しているのと同じ」という反発を覚える人もいると思います(ポリティカル・コレクトネス違反の批判はバッシングの嵐を呼ぶでしょうが)。かく言う私も求職の意欲もなくて子育てもまともに出来ない人には自分の所得をすすんで渡したいとも思いません。「君には才能があって少しは稼いでいるのだから、そうではない人たちに稼ぎを渡しなさい」は飲み込みずらいと思います。会社に就職できなくても街の清掃をしたり、子供の教育を頑張るとか少しは社会のために働いてくれよとも思います。

 残念なことに本人に帰責できない理由で生活保護に陥っているかどうかの真実は簡単に判断できませんので、本当に困っている人も困っているように装って不正受給をする人もいます。不正受給者のせいで生活保護全体の印象が悪くなるのは残念です。ここで思うに、生活保護が社会の腫れ物(スティグマ)として機能してしまう原因として、制度の思想として「生活保護は働く意思の希薄で怠惰な恥ずかしい人達というレッテルを張って、そのレッテルから逃れるために生活保護受給者が仕事へのやる気と努力を回復させるようにしよう」というものがあると思います。しかし、安藤氏がいうように遺伝子というその人の個性や能力を生み出す先天的な要因の力が無視できなければ、生活保護を恥の対象とするよりも、生活保護受給者でも社会に受け入れられるように彼らに簡単なボランティアの役目を与えて社会貢献の機会を持たせた方がよいのではと思います。社会貢献を少しでも出来ていれば生活保護者を社会のお荷物と厳しく当たる人達も減りますし、不正受給している人達の「ナマポ」天国の居心地も悪くなると思います。

 

 個人の出来・不出来には如何ともしがたいならば、それぞれの得意な才能を伸ばす、あるいは何かしらの理由で苦境に陥っている人も「スティグマ」の対象とせずに彼らが社会で受け入れられるようにする余地を作るのが良いのではないでしょうか。

 

 途中から脱線したかもしれませんが、皆さんも『遺伝子の不都合な真実』に込められた安藤氏のメッセージを読んでみませんか?

 今回はこれでおしまいです。読了、ありがとうございました。