AtoPブログ~政策のヒントを目指して~

紙垂石穿:学問から政策思考へ

書籍を読み込んで社会問題、政策への洞察を見出していくブログ。不定期更新。

進化心理学者と社会心理学者からの日本社会へのダメ出し集~長谷川眞理子, 山岸俊男(2016)『きずなと思いやりが日本をダメにする 最新進化学が解き明かす「心と社会」 』~

 

 

 

 月末更新と言いながら思わずに更新したくなるようなライトな本を見つけたのでこの本を取り上げさせて頂きます。『きずなと思いやりが日本をだめにする』

 

 内容をざっくり纏めると、人間の心理を生物種の進化の過程から研究している長谷川先生と社会システムとそこに生きる個人の心理の相互作用から研究している社会心理学の山岸先生の観点から日本社会のダメなところをザクザクとダメ出ししている本ですね。私が取り上げる所以外にもタメになる話は多いと思いますが、対談集が苦手または嫌いな方もいるのでこの本は人を選ぶと思います。特に文脈や背景を推し量りながら読まないと偉そうなことをぬけぬけ言いやがってと思うかもしれませんし、私も細かいところは目を瞑ってます。

 さて、この本の冒頭はいきなり少子化対策に関する政策への批判から始めていますね。お説教とスローガンで解決したら政治は要らないと。3世代同居で昔の人類の基本に立ち返って婆ちゃん、爺ちゃんの手を借りれば済むかといえば、必然的な女性の社会進出で子供に時間と労力を投資するよりも自分のキャリアや幸せに投資するトレンドの存在もあってまだ足りないのではと。今まで家庭に閉じ込められて社会での活躍を阻まれてきた女性が子供を持つ選択をするのに社会的な支えを得られるような制度的補完が必要だということですかね。

 私は特段に新しいことを言っているとは思いませんが、スローガンや広報で解決すればいいと考えている官僚はダメだというのは納得ですね。そもそも広報等の情報を使った政策は情報の非対称性や社会的なモラルや人間の道徳によるサポート的な支持がない限りは働きにくいものですね。例えば「セクハラ、パワハラはやめましょう」は今でこそ効力を感じにくいですが、昔はひどかったのでしょうね。しかし、それも政府やメディアの宣伝や報道で非難されるべきことというのが元々に人間の心理にあったモラルと合致してより強められて社会的な規範として明確化されたと思います。ただ、少子化対策で「女性の人達は子供を2人以上持ちましょう」や「子供を育てることは幸せなことですよ」は政策として通じにくいでしょうし、実験として女性にPR動画を見せればすぐに効果を計測できます。でも、厚労省とかがそんなポスターを出しているのは平成生まれの人間は見たことありませんが。恐らくお説教で解決したら政治は要らないは政治家に向けた皮肉でしょうかね。

  次は山岸先生のボールペン実験の話ですね。ある実験でアンケートの謝礼として1本だけ色が違ってあとの4本は同じ色のボールペンを5本見せてその中から1本だけ選ぶように言うと、東アジア人はその1本だけの色のボールペンを選ぶ人の割合が白人より少ないという結果だけで、東アジア人は協調性を求めて、白人はユニークさを求めるという乱暴な実験が出た。このことに山岸先生はすぐに反証実験として、被験者にボールペンを選ばせるときに実験者が理由をつけて席を外すから自由に選んで帰っていいといったパターンと、他に4人の被験者がいる状態で1本だけ色が違う5本のボールペンを一番最初に選ばせるパターンでは、1本だけ色が違うペンを選んだ東アジア人と白人の数が同じになったということを示した。

 つまり、東アジア人と白人では特定の状況では同じような行動を取るが、ある特定の状況ではデフォルトで選択する戦略が違うだけという可能性を山岸先生は示した訳である。もしくは、私から見ると、実験の解釈として最初の疑わしい実験では東アジア人が実験者から謝礼を目の前で受け取るときに東アジア社会で歓迎される戦略を実行して同じ色が4本あるペンを選び、白人は彼らの社会で許容される戦略を実験者の目の前でまんま実行したと補って解釈しても良いかもしれない。

 そのことから日本人はそのまんまの単体で協調性があるという訳ではなく、日本の社会システムで生活して(あるいは隣人やコミュニティーから監視されて)いるから協調性があるように行動しているだけで、同じく山岸先生が示した、他人に反対しないという意味でのネガティブな協調性と他人に協力するために何かするという意味でのポジティブな協調性が日本人とアメリカ人で比率が違っていて日本人の方が波風立てないでおこうとするネガティブな協調性の方が高いという研究結果もそれを肯定しているかもしれませんね。アメリカの社会保障が日本より優れているとは思いませんし、そんなことは両先生も書いておりませんが。

 次に面白いのが、社会実験の結果として年収が高くて社会的地位が高い人は目の前の他人の感情に共感することを抑制して時には冷酷とも思えるストラテジックな行動を取る傾向との相関性があるという話ですね。ストラテジックな行動が取れるから出世するのか、出世したから敢えて「泣いて馬謖を斬れる」のかは分かりませんが、そういう立場の人間には会社がどうにもこうにもいかなくなって人員整理を行う非情な選択をすることも必要になるということでしょうかね。リストラしないと全員失職まで追い込まれたら心を鬼にしないととは思います。ただ長谷川先生が政府の委員会で共感性の欠けた人間をちらほら見たという証言をしている通り、共感性を欠いたサイコパスな人間が出世をしているだけかもしれませんし、何かのネット記事でそんなサイコパス社員の話をみたような気がします。

 ただ、この話し方よく考えないといけないのが、目の前の人間が憂き目に遭っているからこの改革や政策はやめろと訴える人達でしょうかね。犠牲に遭う人達がなにも補償も今後の生きる術もない状態なのは改革のスピードとしてやりすぎで危険だと思いますが、長期的な視野から見てそこで既得権益に巻き込まれていない将来世代の利益を考えると今の世代に多少の負担をかけても実行しなければいけない政策もあると思います。その政策が何かは状況によりけりだと思いますが、より将来を考えた上で誰が得して誰がツケを払うかを考えられる視点から見えるものも議論で主張されるべきだと思います。増税の問題はこれに当たりますし、社会保障も多少の失敗は込みですみやかに解決策を考えて試していかなければ社会の持続性を奪うと思いますね。

 しかし、この本の両先生の話を聞いているとそんな精神論ではだめだとお叱りを受けるかもしれません。その事で私が面白いと思っているのは話の脱線となりますが、一橋の先生が講演していた未来省の可能性についてですかね。実験において将来世代を考える役割の人間を置くとグループの結論がより将来世代に配慮した決定に変化しうるというもので興味深かったもので、制度の方を弄ったほうが良いのかもしれませんよね。

その話の詳細は以下の動画で。

 

www.youtube.com

 

 他にも色々とダメ出しや放言はあったのでしたが、やはり日本の社会がこれまで均衡的に成り立ってきた社会システムがグローバル化に対しての適応を迫られている時に、どういう新しい社会の均衡に向かうかは考えなくてはいけないということですね。敢えてこの対談を記事として拾ってきたというのも広い意味での心理学者が社会制度の方に注目しているというのは念じておくべきですね。人間の心や行動は社会制度やモラルに縛られる一方で、あらたにそれらの縛りを作り変えていこうとするのも人間だし、悲しき哉、自分の縛りを他人にも括りつけようと躍起になるのも人間ということですね。社会科学の知見を活かして均衡が可能、つまりは持続的で人々の不幸が最小化できるような社会制度を考える必要があるとのことで、バトンを差し出されているような気分がしましたね。

 今日はこの辺にして、溜まっている積読を読み片付けていきます。それらが片付いたら政策科学や話題のサービスデザインの本を紹介できる準備をしようと思います。次の更新は来月末です。それでは、ごきげんよう